大学生福下の日常

どうしようもない大学生福下の日常をマルチに綴ります

教師を目指して挫折した話

教師になりたいと思ったのは小学生高学年の頃だっただろうか。演劇発表会のようなもので教師役をしたのがきっかけだった。教師役は特に劇中でキーマンだったわけでもなく、ただのちょい役だった。しかし、自分にとってそれがあまりにもはまり役だった。

 

その決意は少しずつ固まっていく。

 

自分で言うのもなんだが、小中学生の頃、私は頭が良かった。学年でもトップレベルだっただろう。だからこそ解らない問題に対して質問してくる友人も多かった。丁寧に説明したら友人は納得し、福下は分かりやすい!とよくほめてくれたものだ。

そんな経験もあって人に何かを教えることが好きになっていった。

 

そして高校に進学。進学校に進んだこともあり、学力的には埋もれていたが、素敵な教師たちに出会え、卒業する頃には教師に対するあこがれも強くなっていった。

 

大学に進学。ここから歯車が狂い始めた。教師の夢はあっけなく散る。

要因は大きく2つあった。

 

私の中で教師になるなら数学と固く決めていた。しかし、残念ながら私の所属する学科では理科しか取れなかった。仕方ないなと思い、理科教員を目指すことにしたが、事件が起こる。教職をとるには教職科目の他に、物理、化学、生物、地学の単位をとる必要があるのだが、生物からひたすら逃げてきた私は落単してしまう。落単して落胆wwww(クソ寒ギャグ)なんて言っている場合ではない。正気の沙汰ではない。

さらに教職専門科目というものがあり、部活に熱心な私は、部活の時間を潰されてまでやる必要に疑問を持ち始めてしまう。落単した時点でやる気の8割は削がれていた。

 

そして私は塾講師のバイトをしている。個別指導という形で、1時間で少人数を見るというような形態をとっている。と簡単に説明してしまったが、塾講師はそんなに甘くない。生徒の成績や進路のためにその日何をするか決め、詰まったら懇切丁寧に解説しなければならない。真面目ならまだ幾分マシである。しかし、不真面目なな生徒は何もわかっていないし、勉強も取り組まない、挙句の果てにテストはボロボロなんてことも。実際に教師になれば、塾講師ほど勉学の面倒を見る必要はないが、その分彼らの生活面のサポートなどもしなければならない。そんなことを考えて遂に私はパンクした。

 

…無理やわ

 

現状塾講師は楽しくやれている。しかし、それが手に職とは一切思えない。

子どもの面倒を見る職業って本当にすごいよ…

そんな話でした。

酒を飲んでも飲まれるな!私のお酒の信条

大学生になるとお酒を飲む機会が増える。やべえサークルに入ってしまったが最後、酒をアホみたいに飲まされフラフラになり、街でぶっ倒れたり、吐き倒したり。最悪の場合急性アルコール中毒による死亡の可能性も。先に言っておくとやべえサークルに入ってなくてもそんな可能性は余裕で有り得る。

お酒を入れると気分が高揚したり、正直楽しいことも沢山ある。お酒を入れたからこそ話せることだってあると思う。私もお酒を普通に飲むし、普通に酔うこともある。しかし、とあるネットニュースによって、私はお酒を気軽に飲むが、気軽に酔えないのである。私は、みなさんが中学生の頃などに行ったであろうアルコールパッチテストを行っても、肌の色は全く変わらない所謂お酒に強い人間だと考えられる。実際にお酒を飲んでもあんまり酔わない。このことは体質的な問題ともう1つ、先にも述べたあるニュースが影響していると個人的には考えている。

 

それが、お酒を飲んで酔っても倫理観は変化しないという実験を紹介するネットニュースである。

それがこちら↓↓↓

「酔った勢い」はなく、元々の道徳観が出るだけ 実験で判明か - ライブドアニュース

お酒を飲む前と飲んだ後に倫理観に関するテストを行っても、そのテスト結果に大きな変化はなかったというものだ。

つまり、たまにニュースになるお酒に酔った人間が全裸になったり、何かを引っこ抜いたりするという人々はダメだけどそれをしても良いとか面白いとかちょっと考えちゃってる可能性がある。お酒は高揚によってそのトリガーになるだけで、元からそれをしてはいけないと考えている人にとってはトリガーになり得ない訳だ。私が上記のような考えがあるかと言われたら別にないが、お酒を飲んで酔って、わかってない内にアホなことをして警察goになるのは流石に勘弁なので、いつでも自分で自分を抑制するためにもお酒を飲むときは、絶対に酔わないという強い意志を持ちながら飲んでいる気がする。

色々な人に自分の限界は知っておけと言われる。その通りだと思うが、私はあのネットニュースによって縛られすぎた結果酔うけど酔える気がしない。

マッチングアプリが自分に不向きだった話〜こんな人におすすめしません〜

マッチングアプリを皆さんはご存知だろうか。昔風の言い方をすれば出会い系と言うとしっくりくるだろうか。コロナ禍ということもあり、人と人との関わりは極端に減ってしまった結果、人肌恋しく思った人がこぞって始めたように思う。ちなみに私もその1人である。今回はマッチングを始めて、辞めるまでの経緯をここに記していこうと思う。

ここではこんな人にはマッチングアプリは向いてないかもという一個人の意見と、マッチングアプリで出会いたいならこうしたらいいよという一個人の意見も含めております。参考になればと思います。

 

始めたきっかけは以下である。

私には好きだった女性がいたが、見事に玉砕。3ヶ月ほど落ち込み、マッチングアプリのインストールを検討。しかし、知らない人って怖くね?と男ながらに思い断念。そのまた3ヶ月後に後輩からマッチングアプリをやっているという話を聞いて、身近にやってる人がいるなら…いいかな?なんて思い遂に始めたのであった。

 

ここから私は2つのアプリを使うことになる。なお期間は別々。最初に使っていたのはタップルである。これこそ後輩が使っていたアプリで、後輩曰くすぐにいいねが付くから会話もしやすいとのこと。ほう、ええやん。しかし現実は甘くなかった。寧ろ苦すぎたとまで言える。

マッチングアプリの基本的なシステムとして、男女ともに「いいね」がいくつか付与される。相手のプロフィールを見て、いいね!って思ったらそれを送り、相手もいいね!って思ってもらえたらマッチング成立。出会いの第一歩が始まる。

しかし、当方中の下男子。いいねなんてまあ来ない。いいねを送ってみてもいいねなんてなかなか返ってこない。よくよく思い返せば後輩は雰囲気から諸々美意識の高いイケメン男子なのであった。私が足軽だとしたら、向こうは戦車や戦闘機。そりゃ言ってることに食い違いが生じるわ。

とはいえ天から与えられたものに文句を言っても仕方ない。己の戦いならば己で戦うしかないのである。そこで私はプロフィールからいじっていくことにした。まずは写真。とは言え普段人と写真とか全然撮らないため写真がない。他撮りが良いらしいがないし、自撮りするしかない。折角なので服屋で服を揃えて、他撮り風自撮りをすることに。他撮り風自撮りとはその名の通り、他撮りのように見せかけて、三脚などで自撮りすることである。目指すは雰囲気イケメンだ。実際に出会った女性からは他撮りだと思われていたらしい。カミングアウトした時はまあまあウケたので話題にもなる(かもしれない)。ちなみにプロフィール画像は自分の写真以外にも趣味の写真なども掲載し、それは上限まで埋めた。プロフィール文章も趣味や大学のこと、恋愛観など様々なことを記載。少しユーモアのある文も加えておいた。とにかく詳しくをモットーに作成した。

しかし、このような工夫をしたのにも関わらず、いいねなんて来ない。いいねを送っても返ってこない!なんでやねん!!と。これはただただモテない男の言い訳なのかもしれないが、タップルは「いいね」できる数が他のマッチングアプリと比べてとても多い。ということはいいねの試行回数がその分増えるわけだ。つまり女性はより多くのいいねを貰えるわけで足軽がレア武器を付けても結局は埋もれてしまうのであった。ちなみにいいねが全く返ってこなかった訳ではないのでタップルが悪だとは全く思いません。

こんなん日が暮れちゃうよ!彼女出来るまでに老いぼれちまうわ!なんて危惧した私は次なるアプリ、withを始めるのであった…

さてこのwith、タップルと比較して出会いに対する真面目度が何倍も高い。また「いいね」数も少ないので厳選された女性にそれを送ることになり、いいねの成功率も上げることが出来たように思う。ちなみにこれらフィーリング的な部分が大きいので、やってる人にとってはああって感じだと思うし、これからの人ならやってみれば分かると思う。

結局タップルは1ヶ月、withは2ヶ月やっていたわけだが、タップルは5人とやり取り出来たのに対して、withは20人くらいの人とやり取りした。withはマッチングアプリ慣れの問題もあるが、何より私と相性が良かったようにも思う。

ちなみにwithでは3人と会う約束をしたが、実際に会ったのは1人である。この話をするとクズが!と罵られる自信があるが、うち2人は会うのが怖すぎて結局断った。また他に2人と会おうと誘ってみたが、1人はその瞬間ブロックされ、1人は私と同じで怖くなったのだろうか、アカウントを削除してしまった。結局実際に会ったのは1人だが、その人とは4回もデートした。なのに今も彼女じゃないんだぜ。

ちなみにマッチングアプリは複数人とやり取りするのが暗黙の了解になっているが、私はその1人に対して相手に失礼だとか色々な感情を持ちすぎて、そんな高度なことは出来なかった。純粋というよりは寧ろ拗らせすぎだろう。

その人とは1回目は昼食を食べ、カフェでダベってという風で終わった。デート中に、ここに行ってみたいけど相手がいないという話をサラッとされたので誘ってみたらOKをもらい、LINEも交換した。確実な手応えを得た瞬間であった。そして2回目は夜、お酒も入り気分は最高潮に。ああ、この子と付き合えたら楽しいかもな。お酒の高揚感により、そんなことを思っていた。酒マジック強し。しかし、3回目のデートで事態は急変する。3回目は4回目のデートのプランニングをするのが目的であった。しかし、全然楽しみにならないし、2回目のあの高揚感なんだったんだレベルで気持ちが乗らなかった。そして4回目のデート。基本的にデートの3回目で人々は付き合うと言われている。3回目のデート内容的に4回目がセオリー通りなら告白の日。しかし、わざわざ遠出してデートしたのにも関わらず3回目同様気持ちが乗らず告白なんてなんのその。以降音信不通である。普通に素敵な子だったんだ。でもこの時気付いた。私はそんな短期間で人を好きになれないし、そんな気持ちで付き合ってもあの子を幸せに絶対に出来ない。いやなんだこのフレーズ、くさすぎる。しかし実際そうだった、小中の時好きだったあの子も、この前玉砕したあの子も、思えば好きになるのにすごい時間(約1年)を費やしたんだ。そんな私がたった2ヶ月弱で人を好きになれるだろうか、いやない。あるのならそれは運命の赤い糸かもしれない。これこそが自分がマッチングアプリが不向きだと感じた最大の理由である。

この時代、マッチングアプリを使うことなんて何もおかしくないんだ。でも向き不向きがある。男性は特に課金しなければならないので是非とも参考にして欲しい。私はいい勉強になったとは思っている。

 

結論
  • マッチングアプリ自分の特性に合わせて使うべし!
  • プロフィールは細かく書くべし!
  • 筆者みたいな拗らせた恋愛観を持つならやめておくべし!
  • 勉強にはなる(これマジ)

 

〜おまけ〜

マッチングアプリをやっている後輩とは別に、他の後輩にマッチングアプリを誘ってみた。ここに記載したことと同じようにプロフィールの話をしてみたが、面倒臭いですねと一蹴された。確かに。でも自分の中でオシャレしようとか、そういう美意識は高まったように思ってる。

そのさらに後日談としてマッチングアプリの経過を聞かれた。ここに記載したことと同じように人を好きになれない話をしたら、そんな風に相手と付き合っても相手に失礼ですもんねと言われた。まさにその通りですよ。

 

最後にこれだけ言わせて。彼女欲しい。頑張ります。

成人して1年〜成人式の思い出と去年の振り返り〜

本日は成人の日。

20歳になった皆さんおめでとうございます。

大人の第一歩。といっても筆者には大人がなにかよく分かってないのが現状ですが…お互いに精進して参りましょう。

 

さて、私が成人して1年が経過した。

成人式の日の思い出を振り返りつつ、この1年もついでに振り返る。

 

成人式。私は友人と参加した。仮にも小中高大と住んできた街なので、過去の友人との再会にもそれなりに期待して参加。

しかし、友人には全く会えない。ついでに一緒に参加した友人の親御さんの車に乗せてもらったのだが、成人式終了と共に迎えが来る。

成人式で話を聞き、車に乗って帰る。

え、俺何してたん?高校の友達なんてもう2年くらい会えてない。同窓会も延期になってしまい、本当に旧友と会う機会も少ない中、私たちはただ成人式に参加して話を聞いて帰ってきたのである。ある意味コロナ時代に適した参加方法ではあるが、シンプルに悲しかった。

という話を先日バイト先の後輩にしたら大爆笑された。

ちなみに中学の同窓会はあったようだが、中学では残念ながらガチぼっちだったので参加は控えた。

 

そんな割と中身のなかった成人式を迎えて、普段の大学生活に戻って行った。

大人になるということはやることなすことに責任が生じる。それをいいことに初めてをいくつか経験した1年に思う。

 

マッチングアプリをやってみたり、ゴルフしてみたり、パチンコに行ってみたり。まあマッチングアプリもパチンコもきっかけがあったから始めたんですけど…ちなみにどっちももうやってません。

ゴルフはこれからも練習したい。下手すぎて泣いてる。

来年以降も自分がやったことのないことをやってみたいとは思う。

 

結局成人したからと言ってこれといって生活に大きな変化はなかった。しかし、歳を重ねる毎に社会人へと近づく。そんなプレッシャーに押し殺されかけながら毎日生きている。やべえよ

 

2022年は大学4年生。就職せずに大学院に進むつもりなんで社会人になるのはもうちょっとだけ先ですが、色々しっかり準備して、しっかりした人間になれるますように。今年も頑張るぞ!そんなお話でした。

ダイパキッズによるダイパリメイクの感想

ダイパリメイクが発売してから2ヶ月ほどが経った。これはポケットモンスターダイヤモンド・パールをリアルタイムでプレイしていた少年が大学生になった今、新作をプレイした感想である。ちなみに私はプラチナからポケモンを始めたのでプラチナキッズの方が正しい。

おい!お前!詐欺じゃないか!と言われかねないのでもうひとつ補足しておくと、パールもプレイ済である。今回はブリリアントダイヤモンドを購入した。

 

以下ネタバレを含みますので、気にする方はブラウザバッグ後、プレイしてから必ず戻って来て下さい♪

 

結論から言うと私は結構満足している。不満ポイントも幾つかあるのでそれは後ほど。

 

ちなみに私のポケモン歴はダイパの第4世代以降BW2を除いて全てプレイしている。ちなみにBW2はちょうどポケモン?そんなの時代遅れだぜ!期でプレイしていない。最近中古で購入したので時間が空いた際にプレイしようと思っている。レートにもサンムーンから参入するも、割と途中で飽きてしまいがち。剣盾では最初の何シーズンかはマスターボール級まで必ず行くようにしていたが、途中から嫌になって現在は絶賛フェードアウト中である。ストーリーも楽しんでいるので言わばゆるふわガチエンジョイ勢とでも言うべきだろうか。

 

では本題へ。

先程も述べたが満足は結構している。

最新のポケモンのスタイルを取り入れながらも、均衡を保つためにCPUを強くしている点は特に良かった。XY以降、がくしゅうそうちは大切なものとして扱われ、ポケモン全体に経験値が行き渡るようになった。加えてポケモンを捕まえた際にも経験値が入るようになった。つまり、レベル上げが当時の何倍にも楽になったわけだ。ということは当時のCPUでゲームを構築すればただただレベル差で殴るだけのゲームになりかねない。そこで採用したのがポケモンリーグ戦で話題になったが、個体値、持ち物の採用、つまり厳選されたポケモンの使用であった。ポケモンには一体一体個体値という固有の能力値が与えられている。ポケモンリーグではその能力値が最高のポケモンばかりと我々主人公は戦わなければならない。無理ゲーなのでは?と思われがちかもしれないが、高個体値がない分我々にも最強の武器がある。それが主人公補正(筆者が勝手に命名)である。状態異常になれば気合いで治したり、大ダメージをHP1だけ残して耐えてくれたり。そのような激エモシステムによって白熱した戦いを繰り広げられるのも楽しかったと感じる点だ。原作のダイパも特にチャンピオンはめちゃくちゃに強かった覚えがある。あの時も苦労したなとか思いながらプレイするのはやはりエモいと言うべきなのではないだろうか。

また原作基準だからこそダンジョンの内容は全て理解してるので面白さに欠けるのは否めないが、こんなんあったな…とか思いながらプレイできることは嬉しかった。また、十字キーによる操作、Bボタンによるダッシュが対応している点でも細かいがポイントが高い。

昔無邪気にゲームをプレイしていたあの気持ちが蘇っただけでも高く評価すべきだと思う。

ちなみにポケモンリーグ1つ目の部屋から波乗りをするバグ、なぞのばしょがなかった点も評価点である。バグだから無くて当然なのだが、それは当時のダイパでたまたま見つかって色々楽しめたから面白いのであって、意図して用意されたなぞのばしょに面白みを感じられないのが個人的な感想である。

 

それではいくつかの不満点を上げていく。

まずは操作性である。原作と今作の大きな違いはそのグラフィックである。2Dから3Dの変化により、ヌメヌメ動いてくれるからこそポケモンジム内での操作が難しくなったなど不満点が大きい。

また大量のバグ横行もなにか大事なものを汚されたような気がして残念だった。もはや寝取り案件である。

あとはプラチナ要素の取り入れが絶妙にヘタクソだと感じてしまった。ロトムギラティナのフォルムチェンジがしっかり取り入れられている反面、バトルフロンティアがなかったり、ダイパ基準のシンオウ図鑑なので四天王やジムリーダーの仕様ポケモンのタイプが全く一致しないなど。ここをこうしたらいいのになーと思う点がいくつかあった。これはある意味プラチナキッズらしい感想かもしれない。

 

以上がダイパリメイクに対する感想である。

まあ結局は昔やっていたゲームが高グラフィックでリメイクされるとなんやかんや嬉しいものである。

食わず嫌いしてたらやってみてね

お金を「カネ」と言えない話

金とは世の中、経済を動かすための重要なアイテムであり、我々が生活していくのにも欠かせない。

 

私はお金を「カネ」と言えない。何があっても「おかね」と言いたい。てか言う。

 

何故だろう、「カネ」と表現されると厭らしく、汚らしい印象を得てしまう。そういう映画を見すぎたのかな?

自分にとって「おかね」とはとても有難いものと捉えている。冒頭でも示したが、それがなければ生活出来ないからだ。今の時代、何を買うにも、サービスを受けるにも、生活するにも、「おかね」が伴う。

 

そもそも言葉に「お」を付ける表現は所謂丁寧表現である。「メシ(飯)」に対して「ご(お)」を付与すると「ご飯」になるみたいな。

個人的な意見として、丁寧表現の意義はそれを敬っているか否かの問題だと考える。

「おかね」同様に、「メシ」は「ご飯」って言いたい(たまに言わないけど…)し、これは少し違う気がするが「チャリ」は「自転車」と言いたい。

 

周りを見ても「おかね」とは言わず「カネ」と言う人がほとんどだと思う。

別に言い方1つで何か変わってしまう訳でもないし、その人への印象がひっくり返ることもない。しかし、どうしてもその言い方が厭らしく、汚らしく聞こえてしまう。

私は「おかね」と言うことに対して、少し神格化しすぎているのかもしれない。特に皮肉っている訳ではないが、「カネ」と気軽に言える友人たちが羨ましくも感じる。